「看取り」における在宅医の役割
私たちの診療所では、都会の初期研修医の先生方が1ヶ月間の「地域医療実習」に来ています。
そして、その研修中に「何を感じたのか、何を学んだのか」などの「振り返り」を、定期的に行っているのですが、私自身も「看取りに際しての在宅医の存在意義」について、今回改めて整理することが出来ました。
今日は、そこでの振り返りを通じて再確認した看取りの段階での在宅医の役割についてのお話しです。
在宅医の役割
このブログでも時々伝えていますが、実は看取りの段階では医学的に介入できることは、それ程多くはありません。
それでは「医者は必要ないのか?」と言えば、また違うと思います。
病院の医者は人の病気を治すいわば「修理人」の役割であるのに対して、在宅医は人が死に行く道筋を僅かな灯火を掲げてガイドする「案内役」の役割を担っています。そして、その案内役の存在無しで「家で看取る」場合、人は道に迷い、思い惑う事がとても多いのです。
1.少し先の見通しを示し、安心を与えること
現代において、ひとが死んで行くの見る機会は医療者以外では殆どありません。家族にとって「看取り」とは、暗闇の中を灯火も無しに進むかのようなものです。「案内役」である医療者は、死に行く課程を「次はこんな道ですよ」と道筋を示すことによって、本人や家族に安心感を与えることが仕事です。
もちろん、自宅で自然な最期を迎えたいのか、病院で出来るだけ治療を受けて最期を迎えるのかの「終着点」を決めるのは、あくまで患者やその家族です。
2.決断を支持すること
看取りに際して、本人や家族は「どうすれば良いか」色々と悩みます。その都度、最善と思われる選択をしてみても、常に不安が残ってしまいます。そして、結果が思うようにならなかった場合には、「あの時、ああすれば良かったのに…」と後悔することもあり得ます。
そこで、在宅医の仕事とは、本人・家族がその時々で悩んだあげくに選択したことが、おそらくは最善の選択であったのだと「支持する」ことです。
特に、家族は「人の生死に関わる判断」を行うことになるので、非常にストレスがかかります。これは一人で決めたことでは無くて「皆で悩みながら出した結論なのだから」と言う事を、思い出して貰う手助けをしなければなりません。つまり、一人の責任にしないことが大切なのです。
3.死に行くプロセスを家族と共有すること
患者が最期を迎えるにあたって、徐々に食事や水分が摂れなくなり、おしっこも出なくなると、いよいよ数日で亡くなります。その時に、点滴などの医療処置を行っていなければ、痰を吸引することも殆ど無いので、穏やかな時間が過ごせます。
この段階になると、私は毎日「訪問診療」に伺っています。「今は、こんな段階です」とお話ししては「残された時間」を覚悟を持って迎えて貰えるようにしたいからです。それから、ご家族に、今までご本人が「どんな生き方をしてきたのか」などのお話しも伺います。「思い出話」に花を咲かせて、ご家族の温かな気持ちが旅立つ患者に届くように寄り添いたいと思うからです。「亡くなる人の人生を振り返り、死に行くプロセスを、家族と共に共有すること」
これが出来るのは、在宅医の他にありません。
一つの選択肢
家での看取りが、一番良い「選択肢」ではありません。
しかし、病院で亡くなることだけが、唯一の「選択肢」でも無いのです。