人間関係は密度が問題


Horizontal rear view of a young woman carrying a big clock on a field

今日は、グリーフケアにお伺いした時のお話しです。

毎日の様に病院にお見舞いに行き、主治医には何度も顔を合わせていたのに、あとどれくらい生きられるかという、いわゆる「予後」については全く話がありませんでした。そして、いざ退院という時に大勢の人が集まって、自宅に帰る為の話し合い(退院前カンファレンス)があったその場で、予後は数ヶ月程度という話を突然聞かされたのです。そんな大事な話を、先に家族に伝えないなんてどういうことかと驚くとともにひどく違和感がありました。
その時に思いました。「ああ、この先生はこういう人なんだ」と。

入院主治医について、奥さんが口にしました。

退院前カンファレンス

その退院前カンファレンスには、私も在宅医として参加していました。『原発不明癌』でお腹の中に転移がみられ、腹水も溜まった状態でした。
「1ヶ月の入院精査の結果『原発巣不明がん』で治療は不可能である」と、事前に聞いた上での参加でした。
『末期癌』で自宅看取りが予想される場合には、退院前カンファレンスの時に、予後の見通しを主治医に確認します。そして、本人や家族にどのように伝えられているのかも確認します。
病院主治医は、「本人には『がん』であることは伝えているが、数ヶ月という予後については伝えていない」と言いました。
そこで、「出来れば退院前に、治療の見込みが無いこと、先は短いことを伝えて欲しい」と、依頼しました。
その場に同席された奥さんには、当然その話が事前に伝えられているものと思っていたのです。

死と向き合う

「死」を語るのを、躊躇う医者がいます。決して愉快な話題ではありませんし、出来ればそういった話はしたくない気持ちも理解出来ます。曖昧にしたままで退院となっても、恐らくもう二度と顔を合わせる事はない患者です。

しかし、曖昧なままでは本人の気持ちが整理できません。「死と向き合う」必要があるのです。

期限を正確に予測することは不可能なことですが、少なくとも「残された時間が短いこと」は、正直に伝えるべきだと私は思います。そうしないと、最期になってやり残したことがあると後悔することになるからです。
死は避けられないとしても【死ぬまでの時間】をどう過ごすのかは、本人が決めるべき問題です。いたずらに入院を引き延ばしたり、予後を曖昧にしたままで自宅安静を指示して退院させてしまっては、残された時間を有効に使うことは出来ません。

「看取り」の覚悟

私たち在宅医が、病院から『末期癌』の方を引き継ぐ時には、初めてお目にかかったときから看取る覚悟を決めます。そして、【残された時間】を、悔いの残らないように過ごしてもらうえるよう最大限の努力を払います。

今まで多くの患者さんとその家族を見て来ました。【残された時間】の大切さを肌で感じて来ました。患者の望むことが叶えられる様に、多職種と連携して全力でサポートします。

お酒やタバコも希望があれば許可します。「旅行をしたい」と言えば、実現できるよう調整します。「風呂が好き」と聞けば、発熱があっても血圧が低くても許可します。

もちろん、こういった行動が残された時間を更に短くする可能性があります。そのことを納得の上で希望されることであれば、「何でもOK」です。もし容態が悪化した時には何時でも対応しますし、いつでも看取る覚悟があるからです。

看取り

結局この方は、予後を伝えられないままで自宅に退院となりました。
1ヶ月の自宅療養の後、静かに息を引き取りました。
「家に帰ったらやりたいことが沢山あります」と、退院前カンファレンス時に病室に面会に行ったときに本人が言っていました。「沢山のこと」のうちの、どれだけ実現出来たのかは不明です。
しかし、住み慣れた家に戻り家族に囲まれて、自分の植えた野菜が大きくなってゆくのを眺めながら、ゆっくりとした時間は過ごせました。

「人と人との繋がり」は時間の長さではなくて密度の問題だと思います。
家に帰って来て、先生や看護師さんとは密度の濃い繋がりができました。
最期は病院でなく自宅で良かった。ありがとうございます。

奥さんから、私たちへの感謝の言葉をいただきました。

人の繋がりは密度が大切なんですね

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