死を受け入れられない家族
人はいつかは必ず亡くなります。今日生まれた赤ん坊もそれは同じです。
このことは、みなさん当たり前のことだと理解をされていると思います。
ところが、自分や自分の身内のこととなると、亡くなるという事を考えられなくなる人が沢山います。
これは、飲酒して運転をすると交通事故を起こす危険が増えるという一般な事は理解していても、自分だけは大丈夫と根拠なく考えて、飲酒運転を繰り返してしまう事と似ているように思います。
今日のお話は、そんな『死』を受け入れられない家族のお話です。
これまでの経過
70代の姉妹2人が、長らく90代後半の母を、自宅で介護してきました。私の勤務するクリニック(当院)が関わって、これまで訪問診療や訪問看護を行ってきました。
患者本人の状態は長らく寝たきり状態で、時折は開眼するものの、会話は出来ません。心不全があって、これまで、何度か入退院を繰り返していましたが、その都度回復してきました。
そんな中、今年4月に心不全が悪化して、再度入院となりました。今回は状態が悪くて、入院中に「いよいよ最期の段階です」と、何度も病院の主治医から説明を受けたそうですが、姉妹はどうしても納得がいきません。
この姉妹には認知症は全く無く、寧ろインテリジェンスが高い方々です。100歳近い方が亡くなるという事は、当然分かっているはずなのです。
しかし、「母が亡くなるなんて言葉は聞きたくありません。」と頑なに説明に耳を貸さず、病院に不信感を募らせていました。そこで、当院に転院の相談がありました。
転院
「当院の病床では出来る事に限りがあるので、治療を希望されるのであれば、それは無理な事です。もし、看取りの覚悟があるようでしたら来て下さい。」と、お話をして納得されての当院への転院となりました。
しかし「母がこんなに早く悪くなるとは夢にも思っていませんでした。」と部屋の中で姉妹が嘆きます。
口からはもう何も入らず、尿もほとんど出ていない状態になっても、まだ、奇跡が起こるのではないか、と期待しています。
彼女たちにとっては、母は永遠に死なない存在なのです。
医療者としての対応
『死』と向き合うことが、どうしても出来ない方がいます。
それはそれとして受け入れることが大切だと思います。
しかし、看取り段階での過剰な医療は患者本人に苦痛を与えるだけになるのです。
したがって、「患者にとって苦しいことは控えませんか」と状況を見ながら何度も説明して、家族に対応することもまた必要な事だと感じています。