両親が亡くなった月に思うこと


9月は、私の両親ともに亡くなった月です。父は阪神大震災の4ヶ月前に、母は東日本大震災の6ヶ月前に亡くなりましたので、父は22年、母は6年が経ちました。
今思うと、あっという間だったような気がします。

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今日は、急死の場合と末期癌の看取りの場合の家族の死の受け止め方についてのお話しです。

急死の父

父が亡くなった時には、私は未だ会社員をしていて、将来医者になるなどとは夢にも思っていない頃でした。以前にもお話ししたように、父は『大動脈瘤破裂』により、ほぼ即死状態でした(『あなたは救急車を呼んだことがありますか』)。遠方に住んでいた為に、お通夜にもようやく間にあうタイミングで、実家に戻ることが出来ました。余りにも突然のことで「死」を受け入れるどころではありませんでした。
人が亡くなると、直後から色々な手続きが必要になります。死亡届を役所に出したり、遺産分割協議書を作成し各金融機関に提出したり、家や土地の名義変更を行ったり、相続税の書類を提出したり、年金の変更手続きなどです。僅かな土地に築25年位の小さい家しか資産と呼べるものがない我が家でも、その手続きは煩雑で面倒なものでした。
こういった作業は母に任せるわけにはゆかず、葬儀終了から毎日慌ただしく動きました。そんな訳で、本当に父の死を悼む暇が無かったというのが正直な所です。

末期がんで看取った母

一方、母は悪性の血液疾患を発症して、まもなく『脳出血』で半身麻痺となりました。当時、初期研修をしていた病院に引き取り、状態安定した時には、その病院系列の施設で介護を受けていました。後期研修は他県で行いましたが、毎月、見舞いに戻りました。最期は勤務していた病院で看取り、私が死亡確認も行いました。この時は「医師になって良かった」と思えた瞬間でした。
母の場合には、ある程度亡くなる予想がついていましたので、「死を受け入れること」が自然に出来たと思います。母には病状が良くないことは伝えていても、本人は息子の言うことは信用していなかったようで、どこまで死を覚悟していたのかは分かりません。

死の受け入れ

両親の対称的な死を経験して、「死の受容」には、死ぬまでにある程度の「時間が必要」と感じます。突然の死では、喪失感のみが募り死を受け入れるのは困難です。一方で『癌』などの悪性疾患で看取る場合には、全身状態が段階的に悪化して行きますので、家族は色々なことを思い悩みながらも、少しずつ死を受け入れることが出来るのです。

死の受容には、プロセスが必要です

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