伊丹十三監督「大病人」
伊丹十三監督の『大病人』を観ました。
1993年の作品でありますが、現在でも考えさせられる点が多い作品だと思いました。
話は、1人の俳優が胃がんになるところから始まる。未告知のまま2回手術を受け、病状悪化により再入院となり、次第に自分は癌ではないかと疑念を抱くようになった。
医者は告知しない信念を持っていた。告知は患者の生きる希望を奪うことになると考えていた。妻も告知を希望しなかった。
しかし妻は夫の病状悪化とともに、医者と家族が結託して嘘を塗り固め、患者だけが孤立してる状態は良い事なのか疑問に思うようになり、医者に告知をしてほしいと相談する。
意を決して医者が告知した時、患者は車椅子の上でガタガタと震え出す。
最期を自覚した患者は、残された時間を自分のために使いたいと退院を申し出る。引き止める医者に対して、抗がん剤や放射線治療で、命が1年や2年伸びるならそれも考えよう。しかし、1ヵ月程度伸びるために病院で過ごすのはまっぴらだ。もしも自分が同じ立場だったら先生ならどうするかと問いかける。医師は自分なら点滴をやめて家で過ごす。点滴をやめれば枯れるような最期を迎えることができ、痰で苦しむこともないと答えた。
「自分の最期の人生を生きると決めた。ただ、先生、痛いのだけは勘弁してくれよ。痛いのだけはどうにも我慢ならん。」と言葉を残し退院した。
モルヒネを使いながら未完成の映画の収録を終えて、自宅で皆に囲まれながら安らかな最期を迎えた。
これは、20年以上前の作品で、『がん告知』がまだ一般的では無かった時代の映画です。
伊丹十三監督の先を見る目、『人間の最期はどうあるべきか』と言う視点に、改めてその凄さを感じさせられました。