グリーフケア2 Aさん再び


以前病院での最期で紹介したAさんが3月に亡くなられました。
本日はグリーフケアにお伺いした内容をご紹介します。

Care from a nurse

グリーフケア

グリーフは『悲嘆』と訳されます。死にまつわる悲しみを大きくとらえたもので、グリーフケアとは残された者に対する心身のケアを行うものです。

大切な人の死は、残された者の心身に大きなダメージを与え、死亡や罹患の危険性を高めることが知られています。グリーフケアはこのような健康悪化のリスクの低減に繋がるものと考えらます。

また残された者の人生は、故人の死によって終わるわけでは無く、故人亡き後の生活や人生をいかに立て直してゆくのかという問題は、各人が突きつけられる大きな課題です。

単なる健康回復だけでなく、残された者のこれからの新たな生活や人生のあゆみを後押しすることも、グリーフケアの大切な目標です。

(『死別の悲しみに向き合う  グリーフケアとはなにか』坂口幸弘著より)

亡くなってからの奥さんの様子

Aさんが亡くなったあとは、時々寝られないこともありました、最近は徐々に寝られるようになりました。
ただ昨夜は久しぶりに寝られませんでした。
食事はしっかりとれています。

Aさんの入院中から背中が痛かったのは相変わらずです。通院を送り迎えしてもらっていた弟さんが都合つかなくなり、通院が困難になっているのが困っています。

奥さんは自宅で理容店を営まれていました。

住んでいるところが港に面しており、以前は賑やかでしたが、相次ぐ運航休止により現在は人もまばらな所です。
ここ数年はなじみ客の予約があるときだけ、営業していました。現在も散髪の仕事は、予約があればぼちぼち行っているとのことでした。
「人と話すことで、気分も紛れて良い」とも仰っていました。

若い頃の思い出

若い頃のAさんはやりたい放題に生きてきた方で、ずいぶん迷惑をかけられたそうです。週のうち半分家に帰れば良い方で、毎晩麻雀に明け暮れ、その上、賭け事もしていて借金も払わされたようです。
とにかく付き合いの良い人で、仕事での接待では最後まで残り、皆さんを送り届けるような人だったそうです。
その間、奥さんは理髪店を営みながら子育てをしていました。
まさに現代版『髪結いの亭主』だったようです。

お二人の結婚式は少し変わっていました。当時、結婚式の様子をテレビで放映する『テレビ結婚式』という番組があり、それに出演して結婚したそうです。「その時のAさんは動物園に勤務していたため、花の贈呈は本物の猿でした」と笑っていました。

「苦労を掛けられ通しだったけど、テレビ出演したこともあり、世間の手前、嫌な事があっても離婚はできない」と思ったそうです。

亡くなった状況

昨年後半から肺炎による入退院を繰り返していました。今年正月には何とか家で過ごすことが出来ましたが、1月中旬には再入院となりました。この時、主治医としては、このままもう家には戻れないだろうと感じました。

入院後は一旦は退院可能なレベルまで回復しましたが、その時、奥さんの腰痛悪化があり退院をしばらく延期しました。そのうちに、状態が再度悪化し入院継続、個室管理となりました。再々度持ち直し、そろそろ大部屋へ移る話をしていた矢先、突然亡くなられたそうです。

「あの時無理してでも帰してあげたらよかった」と悔やんでいるようでした。

Aさんが退職してから既に12、3年が経っていましたが、多くの弔問客が訪れたようです。生前のAさんの男前な人柄が好かれていた証なのでしょう。

奥さんに対する気遣い

入院中、奥さんと2人だけになった時に「随分ひどい目にあわせたなぁ。申し訳なかったなぁ」とAさんが言ったそうです。この一言ですべて報われたと思ったそうです。このことはやるなあAさん以前紹介しました。

またAさんには近所にすむ兄弟おり、関係が複雑で問題を抱えていました。

今回の入院の時には訪問看護師に、「本当は家で死にたいが、家で亡くなることになると、その後、家内が生きてゆけなくなくなるので病院に連れて行ってほしい」と頼んだそうです。

亡くなった後の自分の墓のことも、長男さんと相談して、長男のいる遠方の都市にお墓を用意する手はずを整えていました。

どちらも、自分の死後に、奥さんが兄弟に文句を言われることがないよう、安心して奥さんが生きてゆけるようにとの気遣いでした。

こういったお話しを1時間ほど伺いました。
あらためてAさんの生き方、かっこいいと思いました。

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